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  • 2022年6月22日

Isesaki Kasuri 伝統的工芸品「伊勢崎絣」

  • 上毛かるた【め】の句は『銘仙(めいせん)織出す伊勢崎市』です。
    伊勢崎市は『鶴舞う形の群馬県』でいうと、首の付け根あたりでしょうか?桐生市と同じように富岡市とは東京からの主要交通網が違うせいか、同じ県内でも交流が少ない地域のような気がします。
    私は学生時代染織を勉強していました。絣(かすり)織もやったことがあります。ですから今回の伊勢崎絣の工房を見学できることを楽しみにしていました。でも、ここではじめて私の長年の間違えに気づきました。桐生は「絹織物」で有名ですが、派手な柄行きが多い伊勢崎の織物はどういうわけか「綿織物」と思っていたのです。恥ずかしいかぎりです。「銘仙=絹織物」ですね。
    とても細い絹糸を絣織物にするのは難しく、単調な縦縞(経縞/たてじま)や横縞(緯縞/よこじま)などの平織の紬、布に凹凸をつけて風合いを変化させるジャガード織りといった織物が多いので、あえてそこにカラフルな絣を付加するのか?という思いもありました。しかし銘仙を詳しく調べてみると「くず繭や玉繭(2頭以上の蚕が1つの繭を作ったもの)など、自家製で引いた太めの絹糸を平織にしたもので、絹織物としては丈夫で安価であった」とのことで納得しました。

伊勢崎絣(いせさきがすり)

大正から昭和初期、女性の社会進出が進んだものの、服装においてはまだ和装が圧倒的に主流で、社会の洋風化に追いついてませんでした。そのため、女学生や働く女性などの外出着や生活着として、比較的安価ですが洋服に見劣りしない新しい感覚を取り入れた着物である『銘仙』が広く受け入れられることになったようです。それまでの地味なものとは違い色鮮やかで多彩な柄の模様銘仙が作られ、これが女学生たちのニーズと合致して大流行となり、幅広い年齢層の女性に広まったようです。銘仙は、この伊勢崎をはじめ秩父、桐生、足利、八王子など関東の養蚕の盛んな地域の周辺域が主の生産地になり「西の御召、東の銘仙」といわれていました。
私が勉強してきた中で伊勢崎絣は「矢絣」など経糸のずらし絣が主なデザインと思っていましたが、今回、見学させていただいた齋藤さんは経糸(たていと)と緯糸(よこいと)の両方に絣を施す経緯絣(たてよこかすり)『総絣』『ダブル・イカット』の作品を作られていることに驚きました。矢絣などは同じ繰り返しのパターンの絞り模様を経て(たて)方向に一定量を少しずつ「ずらす」ことで成り立っていますが、模様織の場合は繰り返し柄のドット設計図から絞り具合を切り出して経糸、緯糸の結束糸を何パターンも作りだし織るのでかなり繊細で時間のかかる作業だと思います。
市内には伊勢崎絣にかかわる仕事をしている方はすでにほとんどいないので、以前は分業制だった染織生産工程を全ておひとりでされているようです。そして伊勢崎絣を継承する講師などをされています。

  • いせさき絣 工房看板
  • 織機(飛杼タイプ)
  • 整経糸をビニールテープで結束 括り絣(くくりがすり)演習
  • 捺染による板摺り込み演習
  • 作品
  • 括り絣着物

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