• Fringe / 歴史
  • 2022年5月11日

富岡【国指定重要文化財】旧茂木家住宅のある宮崎公園へ行ってきた

4月半ばに富岡市の広報のLINEトークに「つつじ祭り開催中」のチラシが流れました。
私は今まで旧茂木家住宅を見学したことないので、良い機会、宮崎公園のツツジの時期に行ってみようという気になりました。
4月23日につつじ祭りのイベントを開催するとのことで、混雑を心配してその後GW前に行こう!と決めていました。ですが、わが家のモッコウ棚崩落事件がなどがあり、結局GWも終了した今ごろになってやっと出かけることができました。うちの庭に1本だけあるヤマツツジもすでに終了しているので、ツツジの開花は期待薄でしたが、案の定ほとんど終了していました。

ですからツツジの件は早々にして、見学者が誰もいない旧茂木家住宅メインとしました。
(このページで使っているツツジの写真は現地で撮影したものです)


【国指定重要文化財】旧茂木家住宅(きゅうもてきけじゅうたく)

住宅っていうことは昔、個人のお宅だったってことです。富岡市内には茂木さんが意外と多いです。
子供のころからいちばん近くにいる方々はみんな「もてき」さんだったので、私には読み方違和感はありませんでした。ですが、市内でもこのお苗字の方は「もぎ」「もてぎ」さんなど読み方はいくつかあって、全国的には他の読み方のご家族の方が多いようです。

この家屋は、戦国時代の大永7年(1527年)に建てられ、現存する民家の中で国内最古の建物の一つといわれています。
元々、富岡市内の神農原(かのはら)地区に建てられていたもので、非常に古い建て方なので、板葺(いたぶき)屋根の民家として日本で1、2を争う価値があるそうです。
茂木家に残っていた古文書や建物に使われていた木材に記された墨書きなどからこの建物の改築時代などが特定され、建築スタイルや古さに価値があることが分かり、昭和45年に国重要文化財に指定されました。そして昭和50年に富岡市の所有となり、昭和52年に現在の宮崎公園内に移設し、復元修理をして一般公開するに至ったようです。

茂木家の先祖は、戦国時代の大山城(富岡市神農原地区内)城主で、初代は野宮淡路守信勝であったと伝えられ、28代まで城主として、29代目で茂木姓を名乗ったという史料が残っているそうです

  • 切妻造板葺石置屋根(きりづまづくりいたぶきいしおきやね)
  • 囲炉裏
  • 神棚(でえという場所に仏壇あり)
  • 西側からの外観

【富岡市指定名勝】宮崎公園(みやざきこうえん)

富岡市の西側にあり、鏑川(かぶらがわ)左岸の滑花崗岩質からなる段丘上の総面積14,246m²におよぶ市立の公園です。

明治20年(1887)この地の豪農・豪商である鈴木城作氏が築庭したもので、明治30年(1897)から鈴木氏により一般公開されました。昭和30年(1955)富岡市の所有し市立公園となりました。

公園は明治20年の造園時に植えられ樹齢百数十年を超える古木群やオオヤマツツジ・ヤマツツジ・レンゲツツジなど近隣の山野に自生していたとみられるツツジ類や、当時庭木として流通していた園芸ツツジであるリュウキュウツツジ・キリシマツツジ・サツキツツジなど860以上の株で構成されているそうです。

参考:富岡市教育委員会 発行「富岡市の文化財」、現地配布資料から抜粋

Area mapエリア マップ

場所は大体わかっていたので途中まではスムーズ、カーナビも問題ありませんでしたが、入り口近くの看板から先は住宅地になっていて細い道です。そして、公園内の駐車場は小さく、今回はつつじの季節に開放していた臨時駐車場に車をおきました

PAGE TOP